昭和57年卒
山本健一
名古屋地裁判事
海城入学の理由は「将来は法律に携わる職業に就きたい」だった
卒業後の進路の為に海城を選択
私が海城学園に抱いた最初の印象は、明るくて学生が楽しそうにしているな、というものでした。高校受験のため、いくつかの高校に入学願書をもらいに行ったのですが、実際に触れた海城の雰囲気がとても良く、自分にも合っているなと感じました。ここなら3年間を楽しく過ごせそうと思い、海城を第一志望にしたんです。
今、私は法律の世界にいます。弁護士としての経験を積み、2013年10月から名古屋高等裁判所、そして2015年4月からは名古屋地方裁判所の判事をしています。高校受験以前から漠然とではありますが、将来は法律に携わる職業に就きたいと考えていました。きっかけは、小学生時代に報道で知ったロッキード事件。前総理大臣が逮捕されるという大事件に触れ、法に興味を持ちました。そこで将来、高校卒業後の進路も大学で法律を学んでみたかった。海城は私が受験した頃は東大こそ今ほどの進学率ではなかったものの、早稲田、慶應クラスの進学にはすでに定評がありましたし、当時は司法試験を受けるなら早稲田、慶應、中央大学法学部を目指すのが定番。海城なら他の高校以上に進路の選択肢を増やすことができると思ったのも、海城を選んだ理由です。
兄弟をも魅了した楽しい学校生活
海城高校は、実際にも、優秀な学生が集まりながら、どこかのどかな雰囲気の漂う過ごしやすい学校でした。私があまりにも楽しそうに学校生活を送っていたのを見ていたからか、実は2人の弟も海城に進学。兄弟3人とも海城の同窓生というのも、ちょっと珍しいかも知れません。
珍しいといえば、進学校でありながら、1年、2年と2年間、週に一度ずつ格技の時間があるのも珍しかったですね。先生の中にも、武道の有段者の方などがおられて、当時は今の時代と違って、厳しい指導をされる先生も何人かいらっしゃいましたが、とはいえ締め付けが厳しいというのとも違っていて。学校に近い新宿の繁華街でうろうろしたり、何か悪さをすれば当然、厳しく怒られますが、勉強も含めてわりと放任主義なムードはありましたね。学生を信頼し、自分のやるべきことは個人の自主性に任せる感じでした。
ですから授業も、教科書をただ進める先生は少なかった気がします。時には先生の趣味の話なども交えながら、個性的な授業をされる先生が多かったです。私は小学2年から6年までオーストラリアで暮らしていたので、いちばん得意だったのは英語。最初からそれなりにできるものですから、真面目に教科書を勉強しないくせに模擬試験の点数は良く。先生からすると、ちょっと生意気な生徒だったかも知れませんね(笑)。
学校行事の思い出だと、修学旅行が忙しかったの覚えています。行き先は年ごとで九州と北海道のどちらかで、私の学年は九州でした。ほぼ九州全体を10日前後で回り、福岡、鹿児島、長崎の五島列島など多くの県を回りました。そういえば、北海道に行った代の学生は、卒業すると北海道大学を目指す人が増えるという噂もありましたね(笑)。
歴史と伝統のある校舎も、海城生にとっては誇らしいものでした。印象深いのは、今はもう改築されてしまった旧本館。油引きの床の木材は戦艦・長門と同じものが使われていたと噂に聞きました。海城学園ならではの歴史を感じることができました。今はさらに立派になりましたが、都心の山手線の中にありながら、校庭がとても広いのも海城生の自慢で。テニスコートやプールなど、運動設備も非常に充実していました。
男子ばかりの高校という気安さもありますし、海城の大らかな校風も相まって、学生同士はもちろん、先生と学生との仲が良いのも海城の良さでした。卒業から30年以上が経ちますが、今でも同級生とは連絡を取り合って仲良くしていますし、各学年の担任の先生方とも年賀状をやりとりし、近況を報告しあっています。
ただし、高3の最後で一度だけ、先生と意見が合わず我を通したことがありました。進学先についてです。いくつか大学を受け、結果、早稲田は政治経済学部と法学部、中央大学の法学部に合格したんです。そこで担任は、レベルの高い政経学部に進んではどうかと強く勧めてくれたのですが、やはり私の幼い頃からの夢は法律を学ぶこと。政治や経済にはいまひとつ興味が持てなかったこともあって、ずいぶん意見を戦わせました。今となっては、それもいい思い出ですね。
失敗することを恐れるな
そんな海城での学生生活は、今思い出してもとても穏やかな印象があります。私もずいぶん暢気な海城生でしたが、言い換えれば、とても素直で実直な高校時代を過ごさせてもらいました。今、海城生の方、これから海城を目指す方にも、海城らしい素直さ、実直さを大切にしてもらいたいと思うのです。
私は、司法試験に合格するまでずいぶん時間がかかりました。早く合格できなかったことは、普通に考えれば失敗なのかも知れません。しかし、すんなり先に進んでいたら会うことのなかったいい先輩にも出会えましたし、苦労したおかげで、今の判事という仕事の糧になる様々な経験を積むことができました。失敗することを恐れるな、とはよく言いますが、もし失敗したと思ってもそれを後悔せず、失敗があったからこそ今の自分があるのだと、ぜひ前向きに捉えていってほしいと思います。
山本健一
名古屋地裁判事